こんにちは👞✨
靴を大切にする人を増やしたい@立岡靴工房(TatsuokaShoes)の
立岡海人です。
[失敗談を全公開]
本業の靴屋が所属している経営者団体#中小企業家同友会 の #経営指針成文化研修 について
考えたこと、感じたことをお伝えします。経営の悩み解決のヒントになったり
「親の仕事を継ぐ!」
もしくは
「自分も独立する!」
と思えるような話です。https://t.co/jMpRXK57Dn pic.twitter.com/YM7yIFIpli
— たつ@おかやまJCブロガー (@tatsuokakaito) 2019年1月6日
今日は、立岡が所属している経営者団体、中小企業家同友会の経営指針成文化研修について
改めて書いていきます。
以前もこのブログで書いてきた経営指針をつくる中で感じたこと、考えたことをお伝えすることで
誰かの仕事の悩みが少しでも解決されるようなヒントになったり
「自分だったらもっと〇〇するのになぁ…」という事業のシュミレーションができたり
または、「自分も独立するぜ!」とか「親の仕事を継ぐぜ〜!」となると良いなと思っています。
というわけで、お話しする内容の目次です。このような順番で進めていきます。
当日の資料をつくりはじめているんだけど
まずは目次ざっくりこんな感じです。#中小企業家同友会#経営指針成文化研修 pic.twitter.com/LWx9gaBhzm
— たつ@おかやまJCブロガー (@tatsuokakaito) 2019年1月6日
まずは靴屋がどうやって靴屋になったのか。
そして、私は後継者なんですが、後継者になった理由。
このあたりからはじめさせていただきます。
雑なプロフィールですいません。
立岡海人(たつおかかいと)です。
立岡靴工房の代表者で、オーダーメイド靴をつくっています。稼業が代々靴屋をやっていまして、後継者で4代目。
最近までは法人だったんですが、訳あって二次創業。
個人事業主です。#中小企業家同友会#経営指針成文化研修 pic.twitter.com/mhfs3JmuiU— たつ@おかやまJCブロガー (@tatsuokakaito) 2019年1月6日
わたしが育った靴屋がある場所は岡山県岡山市の中心部。
岡山城の殿様であった池田光政さまが自分の身の回りのものを揃えるために
方々より集めた商人がつくったマチ、表町商店街で3代続く革靴屋の4代目として産まれました。
シングルマザー家庭の一人っ子長男でのんびりボンボンと育ちまして
飛ぶように物が売れた高度成長時代から、1日の売り上げがゼロ。という日々も経験して
それでも靴屋を続けようと思った理由は、いろいろあるんですが
一番は「好き勝手自由に行きていきたい」からに尽きるような気がします。
この「好き勝手」と「自由」はあとで定義が出てきます。
もともとはウチは
おじいさんの代から靴屋をはじめたと
聞いています。残っている古い資料には
『旗と装飾 立岡商店」と
確認できます。昭和20年代には
靴の販売もしていたそうですが
屋号に「靴」はついてないようです。#中小企業家同友会#経営指針成文化研修 pic.twitter.com/NXHpJvPlrg— たつ@おかやまJCブロガー (@tatsuokakaito) 2019年1月6日
一度靴屋の古い資料を片付けていて、日本の国旗が出てきたことがあります。
箱は埃をかぶっていていたけど中身は新品未使用。
「なんでかな〜」って思ってたんですが、昔の商品だったみたいです。
コチラの地図をご覧いただきたいんですが
近所のおっちゃんが
「ええもん見せてやろうか」と
自慢気に持ってきたのは
戦前の表町商店街の地図を
データ化したものでした。今でも残っているのは、百貨店の天満屋さんと
カバン屋のスナミさんくらいで
あとはもう残ってなくて
新しいお店になりました。#中小企業家同友会#経営指針成文化研修 pic.twitter.com/EBxsWOYMob— たつ@おかやまJCブロガー (@tatsuokakaito) 2019年1月6日
それで、地図の青い矢印にご注目ください。
青い矢印の先に
「立岡国旗店」
とあります。
戦争前につくられた地図なので、当時の雰囲気が伝わってきます。
靴屋になったのは戦後のこと。#中小企業家同友会#経営指針成文化研修 pic.twitter.com/L5T0n792af
— たつ@おかやまJCブロガー (@tatsuokakaito) 2019年1月6日
立岡国旗店の2件北にある三村洋服店というのは長い間空き店舗のまま
ずっとシャッターを閉めてましたが3年前の火災で消失しました。
小間物屋と小間物屋に挟まれて
日本の国旗を売っていたようです。
ちなみに立岡国旗店の上にある黄色い丸は
戦災死者の印だそうです。
他にも爆弾が直撃した印、とかあります。 pic.twitter.com/Acc3PnpeAR
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日本の国旗だけで生活できたんかなーとも思いますが、
いろいろ調べていくうちに他ものもの販売していたみたいです。
そんなわけで、日本の国旗を販売していました。
その他にはどんなものを取り扱っていたかというと pic.twitter.com/ACr3UlQJu8
— たつ@おかやまJCブロガー (@tatsuokakaito) 2019年1月6日
国旗の他には、雛人形を売っていたそうです。
まだ商店街で店頭販売をしている頃、古いお客さんに
「私が娘の頃には、ここでお雛を買うてもろおた」
とか
「骨董屋で購入した雛人形の裏に立岡という屋号を見つけた」
とかお話を聞いたことがあります。 pic.twitter.com/qZ7moNLNMg
— たつ@おかやまJCブロガー (@tatsuokakaito) 2019年1月6日
ふと考えてみると、日本国旗と雛人形との共通項は
という感じだなあ。と思いました。
そう考えると、たまたま時代の流れだったかもしれませんが
革靴を販売するようになったのも、同じハレの日を演出するもの。
今のオーダーメイドの革靴も、代々の流れからいくと近いような気がします。
さて。次はなぜ自分が靴屋を継ごうと思ったか。
理由はやっぱり家族の仕事を見てきたから。というのが一番のような気がします。
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