[失敗談を全公開]2019年1月22日(火)ヨル〜中小企業家同友会青年部の例会で経営報告します。

こんにちは👞✨

靴を大切にする人を増やしたい@立岡靴工房(TatsuokaShoes)の

立岡海人です。

 

今日は、立岡が所属している経営者団体、中小企業家同友会の経営指針成文化研修について

改めて書いていきます。

以前もこのブログで書いてきた経営指針をつくる中で感じたこと、考えたことをお伝えすることで

誰かの仕事の悩みが少しでも解決されるようなヒントになったり

「自分だったらもっと〇〇するのになぁ…」という事業のシュミレーションができたり

または、「自分も独立するぜ!」とか「親の仕事を継ぐぜ〜!」となると良いなと思っています。

 

 

というわけで、お話しする内容の目次です。このような順番で進めていきます。

 

 

まずは靴屋がどうやって靴屋になったのか。

そして、私は後継者なんですが、後継者になった理由。

このあたりからはじめさせていただきます。

 

 

 

 

わたしが育った靴屋がある場所は岡山県岡山市の中心部。

岡山城の殿様であった池田光政さまが自分の身の回りのものを揃えるために

方々より集めた商人がつくったマチ、表町商店街で3代続く革靴屋の4代目として産まれました。

 

シングルマザー家庭の一人っ子長男でのんびりボンボンと育ちまして

飛ぶように物が売れた高度成長時代から、1日の売り上げがゼロ。という日々も経験して

それでも靴屋を続けようと思った理由は、いろいろあるんですが

一番は「好き勝手自由に行きていきたい」からに尽きるような気がします。

この「好き勝手」と「自由」はあとで定義が出てきます。

 

 

一度靴屋の古い資料を片付けていて、日本の国旗が出てきたことがあります。

箱は埃をかぶっていていたけど中身は新品未使用。

「なんでかな〜」って思ってたんですが、昔の商品だったみたいです。

コチラの地図をご覧いただきたいんですが

 

 

 

それで、地図の青い矢印にご注目ください。

 

 

立岡国旗店の2件北にある三村洋服店というのは長い間空き店舗のまま

ずっとシャッターを閉めてましたが3年前の火災で消失しました。

 

 

日本の国旗だけで生活できたんかなーとも思いますが、

いろいろ調べていくうちに他ものもの販売していたみたいです。

 

 

 

 

ふと考えてみると、日本国旗と雛人形との共通項は

スクリーンショット 2019-01-07 2.43.16

 

という感じだなあ。と思いました。

そう考えると、たまたま時代の流れだったかもしれませんが

革靴を販売するようになったのも、同じハレの日を演出するもの。

今のオーダーメイドの革靴も、代々の流れからいくと近いような気がします。

 

 

さて。次はなぜ自分が靴屋を継ごうと思ったか。

 

理由はやっぱり家族の仕事を見てきたから。というのが一番のような気がします。

スクリーンショット 2019-01-07 2.48.06

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